公正世界信念

 國分功一郎氏のリツイートによると、公正世界信念という、「この世の中は合理的に過不足なくできていて、努力すれば報いがあるし、矛盾は是正される。」という信念の強い人ほど、マイノリティ問題にアレルギーを示すという。
 つまり、アファーマティブアクションにアレルギーを示すのは、既に利益を得ている者だけでなく(というよりも)、マジョリティに同化して努力し財産を形成した者、あるいは現在進行形で財産形成をしようとしている者(立身出世主義者、成り上がり)だということだ。これは、リバタリアンがリベラルに対抗して登場した歴史に合致する。マジョリティに同化し、抑圧の中で成り上がろうとする人間にとって、アファーマティブアクションはフリーライドに見える。実際には彼らは差別に無知で、自らもマイノリティだという事実に気づきたくないだけだが、既に「同化」というサクリファイスを払っているため、素直なマイノリティの主張にルサンチマンを感じる。
 アファーマティブアクションに同化者の考えるような利益はない。むしろ、功利計算でいうと損失しかない。同化者は自らが受け入れた同化を批判する者に対し嫉妬しているだけである。彼らの考えるような経済的損失など存在しないのだ。つまり、彼らの反発は端的なルサンチマン、自らが敗北を認め、受け入れたルールに従わない者に対する嫉妬に由来する。そうすると、ここでの問題が功利的な「選択的自由」の問題ではなく、自尊心を主張する者に対する自尊心を飲み込んだ者の嫉妬であることがわかる。
 しかし、なぜ自尊心を飲み込むことが嫉妬につながるのか?本当にプライドを飲み込んでいる者ならば、自己解放を達成した者に対して喝采を送ってもよいはずだ。彼らに嫉妬が生じるのは、プライドを飲み込んだのではなく、棚上げしていつか取り返すつもりだからだ。功利主義が主張するのは同化が必然となったからあとは功利計算以外にやることがない世界、ではない。そうではなく、同化を余儀なくされているが、功利計算を通じて支配関係の逆転を狙うというものだ。つまり、ルールに従った主従の逆転を狙っていたからこそ、ルールの根底を批判する者にヒステリーを起こす。彼らは本当は同化していない。同化を偽装して逆転を狙っているからこそ出世の基盤を組み換えられることにヒステリーを起こすのだ。功利主義は自らの基盤に覇権意識があることを隠している。
 アファーマティブアクションがあるからといって、同化が回避されるわけではない。マイノリティは端的に同化を余儀なくされる。多様性の実現は難しいのだ。要するに、マイナーマジョリティの心配はお門違いである。しかし、不利益などなくとも、マイノリティの権利を実現しようとする際、支配階級や官僚と同時に、「立身出世主義者」こそが最大の障害となる。マイノリティの存在と同時に生まれた者こそが、最初にして最大の障害なのだ。

 法律はマイノリティを排除して成立する。自由で平等な市民社会はマジョリティのために整地されることで実現する。
 これがわかっただけでもロースクールには意味がある。