2013-01-01から1ヶ月間の記事一覧

雑記

やはり、法科大学院は根本的に作り直さなければならない。戦後、いくつか民主化がなされなかった領域があり、その一つが司法だとされるが、(いい意味でも)悪い意味で(も)その影響を感じる。少なくとも、現在の法科大学院の教員には教育に関する問題発見−…

雑記

管理教育や会社からの解放を求めて資格を目指す人がいるが、完全な間違いである。資格試験で求められるのは完全な同化であり、自由、解放といった理論的要素は一片もない。 司法試験予備校から法科大学院になってたった一つ良くなったことは、法が同化を求め…

哲学の起源と世界史の構造

イソノミアも世界連邦も新しいものではない。それらは以前からあるものであり、柄谷氏が批評的に添加したものは今のところはない。新しさがあるとしたら、これらの構想が2000年のトランスクリティークから一貫していることである。今思うと、パララックス・…

0から始めて2年で合格するのは無理。

民主主義のもたらす平等はマイノリティ=被差別者を排除したものである。それはアテネの民会と同じである。彼らにそれを批判する能力があるはずもない。 とにかくまず、現実の世の中は不平等であり、権力の建前は欺瞞にすぎず、国家権力がある限り欺瞞はなく…

雑記

勉強していると、もはや弁護士になんの興味もなくなっていることに気づく。いや、もう、興味がなくなって随分経つのだ。惰性でやっている。法律家は文学的な仕事だと思っていたが、現実にはマッチョな仕事だ。このことに最初に気づいていれば、膨大な時間と…

平和

法律で平和は作れない。法律は所詮最初の一撃から導かれる体系だからだ。 平和は幸運が作る。平和の構築について、我々は本質的に無力だ。しかし、努力してそれに近づくことはできる。少なくとも、それが確定的にできるとは思わないことだ。平和が確定的なも…

雑記

法科大学院の教員は授業ができない。なぜなら、授業を行うための訓練を受けていないからである。彼らは法律家としては有能だが、教員の仕事がどのようなものなのかを全くわかっていない(何をやらなければならないかをわかっていない)。彼らは学生にものを…

マイノリティ

マイノリティにはある程度の強さ=自覚が必要である。マイノリティであるとの自意識がないと自己を保てない。 デリダにせよ柄谷にせよ、冷戦後の世界についてよく「様々なマイノリティの横の連帯が必要だ」ということをいうが、現実にはこれが非常に難しく、…

加藤周一の9条論

便利なもので、ウェブで加藤周一の9条についての講演を見ることができる。彼の9条論は良くも悪くも道具的であり、平和主義をカリスマにしようという類のものではない。憲法は変わるものだというし、故郷に好感を持つことも否定しない。戦力の不保持はアジア…

共同体を越えて?

近年の柄谷氏は資本、ネーション、ステートを越える高次の贈与を訴えている。相変わらずシャープだと思う。他方で、一般にはベタな共同性と高次の共同性の区別はつくのか?という疑問もある。共同体的な共同性と個人主義的な共同性を区別するためには、超越…

宗教としての知と技術としての知

一方でピースミール・ソーシャル・エンジニアリングとして技術知が断片化、無意味化した上で肥大化し、他方で、全体性を指向する哲学は、全体たりえぬビジョンを全体と信じて、それをマンダラの如く崇拝する近代社会の宗教と化する。 我々はこのどちらも拒絶…

歴史の復習

70年前後に大きな変化があった。60年代までは資本主義も社会主義の政策を部分的に取り入れて、ケインズ主義的な福祉国家というかたちで一国単位で所得格差の調整を図っていたが、70年代になってこれが破産状態になり、また、同時に資本が国境を越えてグロー…