雑記

 法科大学院の教員は授業ができない。なぜなら、授業を行うための訓練を受けていないからである。彼らは法律家としては有能だが、教員の仕事がどのようなものなのかを全くわかっていない(何をやらなければならないかをわかっていない)。彼らは学生にものを教えるのではなく、新人に研修をしているかのようだ。だから、知識のない者に知識を伝達するとはいかなることかという「教育の基礎中の基礎」をわかっていない。知識のない者にものを教えるためには教える者が遜らなければならないが、彼らは「聞きたいことがあるなら教えてやる」という尊大なスタンス(権力的なポジション)で、自ら積極的にどこがわからないのか、どのようにわからないのかということを学生に聞くことがない。ヴィトゲンシュタインに、命令を実行するには、予め命令の内容をわかっていなければならないという言葉があるが、彼らは予め命令の内容をわかっている学生=教える必要のない学生しか相手にしない。それは法律の根本的な問題に直面しないということだ。
 そして、初学者はタブラ・ラサの状態で意欲をもって授業に臨むが、教員は予め「わかっている」ことを前提としている授業しか行わないので、どれほど真面目に授業を聞いても全く知識は身につかない。彼らは、必死についていこうとして脱落し、精神的に大きく傷つく。彼らには技術知と情報知ではなく、まず、「法律とはなんなのか」を示す哲学的知こそが必要なのだが、実務家、研究者教員はこれを示すことができない。
 だから、法科大学院では事実上の既習者以外は脱落していく。