雑記

 勉強していると、もはや弁護士になんの興味もなくなっていることに気づく。いや、もう、興味がなくなって随分経つのだ。惰性でやっている。法律家は文学的な仕事だと思っていたが、現実にはマッチョな仕事だ。このことに最初に気づいていれば、膨大な時間と金銭を無駄にせずに済んだ...。そう思うとやりきれない。
 とにかく俺は最初の一撃が嫌なのだ。アメリカ映画がきっかけで法律家を目指したが、日本のそれはアメリカとは全く異なる。法が形式性よりも裁量を重んじるようにできている。
 日本の弁護士が自分の目指しているものと全く違うことを、タイムスリップして昔の自分にキチンと教えてやりたい。そうすれば、どれほど有意義な時間が過ごせただろう?
 
 それにしても、少数意見の尊重を司法がくみ取らない国では、マイノリティは自己実現について絶望するほかない。同化あるのみである。これではとても民主主義とは呼べない...。

 弁護士が体現するのは自由と人権でなく、土地と生殖と利益だった。自由はジャーナリズムと文学にしかないのか?ないのだろう。