0から始めて2年で合格するのは無理。

 民主主義のもたらす平等はマイノリティ=被差別者を排除したものである。それはアテネの民会と同じである。彼らにそれを批判する能力があるはずもない。
 とにかくまず、現実の世の中は不平等であり、権力の建前は欺瞞にすぎず、国家権力がある限り欺瞞はなくならないのだということを教えるべきだ。司法試験予備校に通うだけで、どんな人間でも2年で司法試験に合格できるなどということはありえない。そういう広告を出す時点で、予備校の知的水準を切り捨てなければならない。大学ですら対応していないマイノリティ問題に貨幣計算しかしない民間施設が対応しているはずがない。
 法律はどれも特殊意思であり、一般意思たる憲法はかなりの部分で沈黙させられている。現実には農村(水田耕作)共同体ベースのルールと商品交換ベースのルール(資本主義)が対立しつつ協同して秩序を作るのが国家であり、建前通りの万民のための法(一般意思)は無力とはいわないが、期待できるような力はない。国法は所詮、戦士が被支配者に下す命令であり、市民的自由などどこにもない。要するに特殊意思なのだ。
 特殊意思に習熟できるのは特殊意思に同化できる人間だけである。門戸は閉ざされているのだ。閉ざされた門戸を開けるのは、それを開く強い意思を持った者のみである。
 だから、マニュアルさえ処理すれば万人に司法試験への道が開けるという宣伝も、それが商売として成り立つという考えも完全に間違っている。勿論、それ以上に問題があるのは現実の司法だが...。
 我々は権力を批判しなければならないと同時に、偽の救世主をも批判しなければならないという、困難な二重の批判を遂行しなけれはならない。この批判がポピュラー化するためには、一旦カリスマないしアイドルが登場することが必要である。勿論、それは私ではないが...。