加藤周一の9条論

 便利なもので、ウェブで加藤周一の9条についての講演を見ることができる。彼の9条論は良くも悪くも道具的であり、平和主義をカリスマにしようという類のものではない。憲法は変わるものだというし、故郷に好感を持つことも否定しない。戦力の不保持はアジアと日本の一人一人の人間を守るためのものだということだろう。これならば国内のかなり幅広い範囲の人々の支持を得られるのではないか、と思えるものだ。逆にいうと、全国家の交戦権を全面的に揚棄するための国際機関を積極的に設立する(サンダーバードのように)といった踏み込んだ発言はない。ディフェンシブな9条擁護論である。そのことは上記のように多様な支持をもたらす9条擁護論を引き出す反面、どこか一国平和主義的で、マイノリティ(特に移民や難民)への視線が欠けているように思える。
 加藤氏の解説してくれる日本の農村共同体の批判はとてもシャープだが、反面、彼はその共同体のエリートの世界から出ることがないのではないかと思えるのは、私の読書不足のせいだろうか?

 彼は世界をマシニックに捉えている。そのシャープで価値中立的論考は9条への間口を広くする反面、何か積極的な動機に欠ける。かつて、9条の実現とは丸腰で攻撃されても抵抗しないとすらする絶対平和主義だということがいわれたが、加藤氏の議論にこの種の超越的な目的性に基づく理想がないことは確かだ。勿論、だからこそいいのだが、ただ、成り行きであるものにすぎないけど、功利主義的に見てこれがむしろ一番無難な判断だと思うよ、というだけでいいのか?功利主義イデオロギーとしては短期的利益追求の動機づけとなるものであり、中・長期的な利益を見据えた功利主義が発動するためには自然の狡智としての破滅的な事態が必要である。そうすると、戦争をして痛い目に会わないと、人は平和主義がむしろ合理的だということに気づかないわけだから、平和主義は短期的な戦争に対しては無力なことになる。

 でも、まぁ、それでいいのか(?)もしれない。