共同体を越えて?

 近年の柄谷氏は資本、ネーション、ステートを越える高次の贈与を訴えている。相変わらずシャープだと思う。他方で、一般にはベタな共同性と高次の共同性の区別はつくのか?という疑問もある。共同体的な共同性と個人主義的な共同性を区別するためには、超越論的な批判が必要なのではないか。近年はグローバル資本主義の氾濫で、批判の対象が共同体から資本に移っているが、資本が行き詰まるほどに、ナショナル、ないしエスニックな共同性の暴走が生じる。共同体を個人主義によって批判することの重要性は変わらない。スローガンは、孤立を求めて連帯を恐れずでなければならない。