今月の憂国呆談

は相変わらずあまり面白くない。その代わりにウェブのREALKYOTO(このタイトルはなぜREALなのか...?)がものすごい勢いで更新されていて、暇つぶしに事欠かない。ヲタめしがアカデミックな方向に行き過ぎている今、自分にとっての最高の暇つぶしはREALKYOTOだ。

浅田彰氏はずっと京都で芸術批評をしているものかと思いきや、なんと我が家の近くの鎌倉の近代美術館と、その葉山の別館へ来ていた。この二つの美術館は私にとって馴染みのものなので、氏の口から身近な美術館の名前が出てきて思わず(初めて?)親近感が沸く。
鎌倉の鶴岡八幡宮の境内にある神奈川県立近代美術館は言わずと知れた坂倉準三の傑作で、さすがに古くなっているが、プロポーションと空間は素人目にもシャープだと思わせる素晴らしいものである。それほど大きくないので、展示品を全て見てもあまり疲れないのもいいし、八幡宮から円覚寺までその気になれば歩けるのもいい。平日に行くと大抵すいているので、私は池の亀や鳥たちをボーっと見たりする。

浅田氏は葉山の別館を訪れたときに強風だったことを印象深く書かれているが、葉山の辺りは風が強いときは髪がボサボサになるほど強く、3月1日といえばかなり寒いはずなので、まだ肌寒い葉山の近代美術館の屋外で強風の中ゴームリーの彫刻を鑑賞する氏を想像して笑ってしまった(笑)。

そして最後はなんと瑞泉寺についての考察で締めくくられる。これがまた面白い。


磯崎新といえば、何度も東大寺の南大門に触れていることが思い出される。いうまでもなく、現在の南大門は鎌倉時代に作られたものだ。中学3年の修学旅行で奈良、京都へ行ったとき、私は南大門に圧倒された。法隆寺唐招提寺等、歴史的建築物を数多く見て廻ったが、圧倒される建物は奈良に多かった(現在TV業界で活躍している文才のある同級生が「歴史のパワーに圧倒された」と書き記していたが、まったくそのとおりだった。我々は圧倒され、言葉を失ったのだ。)。とにかく門と聞いていたので大きくてもせいぜい5m程度だろうとタカをくくっていた少年の私の前には高さ25mの巨大建築物が現れたのだ。私はショックで言葉を失った。人がアリのように見える。これが門?どう見ても建築物だろう?しかも、仁王像の巨大なことと、建物そのものの、入道雲のようにどこまでも拡がっていきそうなスケール。そして、門の向こうに開けた遮蔽物のない空間の先には大仏殿と盧遮那仏がある。それは西遊記で父が読み聞かせてくれた雲の上にある天竺の世界のこれ以上ないと思えるジオラマだった。とにかく、南大門はその巨大さとどこまでも膨張しそうな様式によって少年の私の脳裏に刻みつけられ、後に『批評空間』で磯崎新氏の論文を読んだとき、「あの南大門のことか!」と即座にそのときの記憶を思い出させるのだった。
鎌倉時代は戦乱と同時に大地震津波のあった時期である。磯崎氏は崇高=サブライムのイメージを鎌倉、安土・桃山、明治、戦後の世界に見ているが、鎌倉のサブライムには原初的な生々しさがある。直接的には人を嫌悪させる血腥さの印象を、むしろ人が美しいと感じることがある。それをカントはサブライムと呼んだ。カントの背後にはリスボン地震があるが、磯崎氏がこだわる鎌倉や安土・桃山にもカントが見たサブライムと同じだけの質量がある。彼は力学的崇高に囚われている。息苦しくなるような力学的質量。それだけの荒々しいパワーが鎌倉時代にはあった。実際に三浦氏と北条氏の対立を始め、流血の逸話は多い。鎌倉武士は荒っぽくて好きになれないが、とにかく戦に強そうなことだけは確信できる。
磯崎氏にとってサブライムとは社会主義である。彼は一貫してサブライムとしての社会主義の建築化を追求している。テラーニを巡るフェノメナルな透明性の議論も、社会主義(とファシズム)の議論だ。プラトン立体は資本主義や入道雲のような爆発的なパワーを形式の中へ閉じ込める知恵である。逆にいうと、パワーを感じる反面、ディシプリンの窮屈さも感じる(といっても氏の作品は他の追随を許さない。批評空間の影響で最先端の建築家の作品をずいぶん見たが、磯崎氏がナンバーワンだと思っている。)。