護憲の理由、差別の国際化

 加藤周一 『自選集8』

 表題の二つの論文を読むと、分析の的確さにうならされる。第8巻は東西冷戦が終結した直後の論考を集めたものだが、まったく古びていない。昨今再び話題になっている憲法改正については、「護憲の理由」の批判が今でも当てはまる。また、「差別の国際化」の描き出す戦後の差別構造は未だに変わっていない。

1、地には平和を
   武器の破壊力は絶えず増大し、戦争の被害は限りなく拡大するから、人間社会が存続するためにはいつか戦争をやめなければならず、いつかは世界連
  邦政府を成立させなければならない。それが遠い将来を望んでの大きな理想である。その遠大な理想へ向かっての曲折に満ちた人類の歩みにおいて、一
  歩を先んじたのが、日本国憲法の理想主義であろう。
   一国民の誇りの根拠は単にその現状(物質的豊かさ)によるばかりでなく、また自ら信じる価値、すなわちその理想による。日本国はもはや「神国」ではな
  い。たとえかつてのように「神国」を誇ろうとしても、日本のカミは日本国外のどこでもカミではない。もし日本国民が国際社会で通用しえる普遍的な理想を
  もつとすれば、憲法の平和主義のほかにない。長期的にみて望ましいのは、9条の改憲ではなく、9条を持たぬ国々が9条を持つことである。

2、「押しつけ」論の破産
   「押しつけ憲法は改めるべきだ」という議論が流行したことがある。しかし、日本国憲法GHQに押しつけられたように、明治憲法も国民が選挙したのでは
  ない、官僚政府から押しつけられたものである。一方は米国憲法を、他方は帝政ドイツ憲法を範とした。「押しつけ」に大きな違いはない。それを改めるべき
  か否かは憲法の内容と歴史によるべきである。しかるに日本国憲法の内容は、国民を主権者として、その権利を拡大したものである。国民が自らの権利を、
  「押しつけ」られたものだから進んで縮小したいというのは、ほとんど意味をなさない。大日本帝国憲法が有効であったのは56年間。日本国憲法が有効であ
  ったのは67年間(2013年現在)一方が伝統ならば、他方も既に伝統である。国民生活に浸透した政治的伝統はそれがあきらかに破滅的な結果(15年戦争
  に至るものでない限り、みだりに改変を計るべきものではない。

3、「国際貢献」の倒錯
   今日の世界は、人類の未来を脅かすだろう、いくつかの問題を抱えている。たとえば、環境破壊、人口爆発、南北格差、民族主義紛争など。どの問題の解
  決にも国際的協力の必要なことはいうまでもない。と同時に、どの問題も軍事力によっては解決されない。
   民族主義紛争が武力衝突に発展すれば、停戦を実現または保証するために国際的な武力行使が必要な場合もあり得るだろう。しかし、その場合にさえも
  軍事的手段は当座の応急処置にすぎず、紛争の原因を除くためには役立たない。必要な国際協力は軍事的協力ではない。
   そもそも国際貢献の話を軍事的協力から始めるのは本末転倒である。まず解決 すべき問題を列挙し、それぞれの問題について複数の解決法の優先順
  位を論じ、遂に武力介入を考慮せざるをえないときに至ってはじめて軍事的な国際貢献を考えるのが事の正当な順序である。いきなり国際貢献=軍事貢献
  という話から改憲論へ向かうのは政治的倒錯症とでもいうほかない。
   国連は勿論世界政府ではない。今までのところ国連の意思決定は主としてパワーポリティクスの影響を受けている。南北では北の意思が通り、北では超
  大国の意思が通る。国連の決定は必ずしも国際社会の総意を反映しない。そこで日本国の課題の第一は、国連を真に国際化するための努力であり、具体
  的な決定についての賛否を明らかにすることであって、その後にはじめて課題の第二、国連の決定にどう協力すべきかが来てしかるべきものであろう。国連
  への注文なしに、話がいきなり国連協力の仕方から始まって改憲論に及ぶのも倒錯的である。
   国際貢献はしなければならない。しかし、その道は無数にあって、その圧倒的多数は派兵を必要とせず、改憲を必要としない。

 4、何時、誰が、何のために
   「解釈改憲」のなし崩し的ななりゆきに対して、いっそ9条を改めて自衛隊を合法化し、規模と任務を明確にしたほうが軍国主義の再発を防ぐのに有効だ
  ろうという考え方もある。
   しかし、今日改憲を望む人々が強調してきたのは、まず「押しつけ」論、次は「国際貢献」であって、軍拡の歯止めではない。「解釈改憲」で軍拡を押し
  進めてきた同じ権力が、軍拡を抑制する「改憲」を行うだろうという期待は現実的ではない。解釈改憲のなし崩し的進行には後ろめたさが伴うが、改憲は公
  然と、朗らかに、軍国日本を再建するための道をひらくことになるだろう。
   改憲は日本国民の意思による。国民の意思決定は、改憲が日本国をどこへ導くかを国民が十分に知った上で行われなければならない。そして、その意思
  決定は、改憲が日本国をどこへ導くかを国民が十分に知った上で行われなければならない(informed concent)。その条件がなく、それでも国民の半数が改
  憲を望まぬときに、世論を操作して改憲を企てるのは、民主主義の原則に反する。