共同体主義から個人主義へ

 この日記を通して得られた方針は、結局、共同体主義から個人主義へ、だと思う。
 WBCを見ていると、多くの国で受け入れられるように、それらの国の共通了解をスポーツやその放送演出のルールとして抽出していることがわかるが、日本の法律(家)にはこうした共通了解の抽出、抽象化の観念がない。日本の法律(家)に求められるのは一方的な同化である。彼らはものを考えない。これは(民主国家ではなく)専制国家の特徴だ。その専制支配の基礎となっているのが、歴史的な共同体である。
 日本は未だ前近代的共同体主義が支配しており、とにかく、多様な価値観や、その基礎となる個人主義を受け入れない。それは大衆レベルだけでなく、法制度のレベルでもそうである。啓蒙だけでなく、制度=政治の変革が必要なのだ。私は革命という言葉は好きではない。価値の転換が起こるとしたら、それは排他的な共同体主義からリベラルな個人主義への転換となるだろう。そして、世界を変える言葉は、ハトの足でやってくる、と信じたい。