つづき

 東氏のいっていることは要するに古典的な俗流マルクス主義で、下部構造が上部構造を決定するという史的唯物論のアナロジーで、人間も下半身(性的欲望の消費)が安定しないと上半身(社会的な振る舞い)も安定しないという程度のことではないか。それは幼稚な観念論である。観念論だからこそ、彼は一歩も引かない上に主張に現実性がない。彼のいう洞察力は俗流マルクス主義の開陳でしかない。思弁のない思考にあっさり飛びつくのは批評的な吟味の力を失っているからだ。今の氏には批評の力=特異性の輝きがなく、大声でしゃべるNerdの姿があるだけだ。かつて氏のスタイルは不毛な哲学オタクに対する生産的なおたく哲学として両義的な称賛を受けたものだが、まったく言葉への緊張感を失ってしまった...。

 
 それにしても、中曽根元首相の頃から、最近の知事、市長の発言まで、なぜこうも日本の政治家(および知識人)は国際世論に無知なのか?私が国際世論に敏感なのは単に帰国子女としてアメリカの厳しい政治環境にさらされていたからにすぎないのだが、今ではあの厳しい環境をありがたいものだったと感じる。
 子供の頃、領事館のパーティーで訟務検事とアメリカの開拓右翼が議論になったときに日本の訟務検事が完膚無きまでに叩きのめされたのを目の当たりにしたが、あの30年以上前の事件と較べて、日本とアメリカの知的環境の開きには何の違いもないと感じる。国際社会を見据えた発言をする場合、国際常識を踏まえなければ、まったく相手にされない。まずはその事実を知らなければならない。全共闘は権力に反抗することしか考えず勉強をしないから、その程度のことも知らないのだ。