東浩紀と橋下徹

 東浩紀氏の主張は問題にならない。買春の一般的な合法化を提案することと、日本軍の戦時買春を正当化すること、在日米軍の日本基地周辺での買春を煽ること、この三つは勿論別個の問題である。しかし、孤立的には凡庸な言説を特定の文脈に置くことで政治的なものとして流通させることが批評家の目指すところであるはず。従って、氏がいくら一般論を話しているつもりでも、特定のイシューにつき特定の立場をとっていると受け取られるのは当然のことである。しかも、自分の発言は特定の政治家の発言とは関係ないというが、イデオローグとして彼らの発言に担保をつけようとしているのだから、関係あるに決まっている。スガ秀実氏はこうしたことは批判しないのだろうか?鎌田哲哉氏が東氏に初期の頃にした批判が思い出される。東氏について、批評空間出身だという神通力はもう忘れたほうがいいのだろう(とっくに忘れるべきだったか...?閣議決定を信じたというが、あの内容をナイーブに信じて議論を展開するのは困ったものだ。)

 批評家としては一回シンビンに入って頭を冷やされたほうがよいかもね。

 団塊ジュニア世代のポストモダン相対主義的な妄言は重症だ。彼らは自分たちだけはクリアな認識をもっていると錯誤しているようだが、それは『寄生獣』のミギーと同じで歴史=偶然を欠いたシミュレーションにすぎない。また、彼らはゼロベースで奮闘しているというが、それは歴史を排除して暴力を解放したいだけだろう。それを頭脳だと思っているのだから救いようがない。あまりにも漫画的だが、それが同世代のスナップショットである。私は彼らをしばらく『寄生獣』世代とでも呼ぼうかと思う。