雑記

 もう追わないけど、朝日新聞がオフレコとオンレコを繋げて記事にしていることをつついている。それはそれで重要な指摘ではあるけど、そこは重心ではない。論点ズラしてるでしょ?たとえオフレコだろうとネガティブ・ブランディングをされるような発言について無自覚だった(あるいは貧弱な理論武装の下で意図的に行った)ということが問題であるはず。もっとはっきりいえば、日本型リバタリアニズムの理論的な限界が兆候的に現れているからこそ批判を受けているのであって、一連の発言への批判は表面的なものではない。そのことと向き合えていないから呆れられているということがわかっていない。発想が致命的に内向きだ。官僚が視野狭窄に陥っているときってこういう風なのだろうか?

 それと、彼のあらゆる出来事を自分の手柄のように語る傲慢さはなんなのだろう?世間で起こる喜ばしい話題は全て「自分が育てた」とでもいうのだろうか?議論の横領なんて弁護士には朝飯前?
 弁護士出身の政治家は利権に囚われないのでスマートな言説を展開してくれるものと期待していたが、どうやら日本とアメリカでは政治風土が違うらしい。アメリカの日本への植民地支配の欺瞞を批判したいのは結構なことだが、それを言いたいのならば、まずは東京裁判における日本の戦争責任の追求のされ方が中途半端であることを日本の「法律家」として批判し、何よりも、昭和天皇個人の戦争責任の追求が棚上げされたことについて、戦争責任追求を提案、主張しなければならない。その自覚も勇気もないから、彼の発言は常にキッチュなものにしかならない。

 とにかく、日本の弁護士政治家はオバマやヒラリーのようにはならないなぁ。枝野さんは石頭の官吏だし、谷垣さんは死刑を執行するし、福島さんは女性であることが多少ソフト感を生み出しているが、やっぱり固いよなぁ。ソフトで洗練された政治家を生み出すのって難しいんだろうな。