市川真人の島田雅彦評

 が文学界に載っていた。そう、冷戦崩壊以後の島田雅彦の小説は冴えない。『天国が降ってくる』『僕は模造人間』『彼岸先生』かつての彼は何を書いても傑作をものにしていた。それが、90年代半ばを境に明らかに創作へのモチベーションが下がった。個人的には、『彼岸先生』がターニングポイントで、そこから現在まで、彼は書くべきことを失ったと思っている。
 市川真人の提題は「島田雅彦はなぜつまらなくなったのか」である。はっきりいうなぁと思うが、実際に最近の作品では小説の叙述が途中から放擲されている。書き出しのリズミカルな文体がテーマとなって最後まで続くことがない。モチベーションを持続させるテーマがないのだ。テーマがないのに時事ネタに従って書いているだけだから、途中で飽きて普請をやめてしまう。だから作品はつまらない。

 書くテーマがないということは、島田が考えていた未来像と現在とがシンクロしていないということだ。2000年代以後、世の中は島田が望んでいない方向へ舵を切った。文学的、政治的事件が何も起こらず、あるいは起こっていてもそれを徹底して隠蔽し、マネーゲームだけが延々と繰り返される金融資本主義の世界。抑圧もなければ反抗もないという形でマイナー言説を干す、自由という名の砂漠。彼はこの砂漠にいやいやながらに付き合わされている。
 逆にいうと砂漠という現実を捉えきれていないのではないか?

 反面、2000年代なって、鈍い輝きを放っているのが大江健三郎である。普通、大きな賞をとると人間は堕落するものだが、不思議なことに、大江の小説への緊張感はむしろ強まっている。ここ十数年、即ち、冷戦崩壊以後もっともわくわくする小説を書いてきたのは大江健三郎ではないか。島田がもう一度復活するには、自分が書くモチベーションだった、パロディの源泉となるパワーである何かを取り戻す必要がある。かつてのような、ではなく、かつてとは違う傑作を島田が次々と生み出す日はくるのだろうか?