個人

 何もかもが内輪話に引き込まれるこの国で、どれだけ個人であることができるだろう?個人であらねばならない。
 共同体はマイノリティのどんな訴えも多数派の情念の沼地に引き込んで割り引かれたものにする。
 上から覆い被さり、マイナーさの牙を抜き支配しようとする者に対してどこまでも個人であらねばならない。そのことは孤立を招く。
 法曹界ではなおさらだ。なし崩しの共同体である法曹界で個人を貫くことはこの世界で永遠の素人であることを意味する。
 哲学者であるとは素人であるということだ。哲学的法律家。これほどの語義矛盾はない。しかし、私の目指すものはそれ以外にない。
 その不利益を引き受けること。素人であることだけが個人と他者の明日を啓く。
 そのためには乾いていなければならない。

 自分に複数ある困難を明晰に自覚すること。そして、それに一つ一つ誠実に付き合うこと。