雑記

知的言説が緊張を失っているから暴力的な政治がまかり通る。
明らかに右寄りの主張をしながら自らを多様性の擁護者と自認する中年の言論人。彼が自らの言説の矛盾に気づけないのは人間的に未熟だからだ。これは最初から指摘されていた問題だ。そして、他人事ではなく、我がこととして反省しなければならないことだ。

個人の自由は政治的に実現されることは殆どない。大半の人間は多数派=支配者になれないのだから、彼らの政治的自由は権力者を批判する自由=言論の自由にある。言論の自由が人権の中で最も重要といわれるゆえんである。
そして、政治的言説はある程度は「論壇」というところで戦わされる。その論壇が未熟な人間に支配されたのは読者が政治的緊張を失ったからだ。

http://d.hatena.ne.jp/nomad68k/20130606/1370511191

過去のエントリーで触れた一国平和主義の右寄りビジョンによる打破が親米ナショナリズムという形で実現されつつある。勿論、アメリカは日本政府にも日本の右翼にもシンパシーをもっていない。彼らはプラグマティストであり、使える道具以上のものは求めていない。宮台真司氏が正しく指摘する通り、親米愛国主義というのは語義矛盾である。すぐに分裂する矛盾を多く孕んだアマルガム。こうしたものは分裂するときに多くのエネルギーを放出する。その危険を止める市民運動のリーダーがいない。