歴史の反復論

 90年代に柄谷行人岩井克人と共に書いた『終わりなき世界』の中に、歴史の反復論が出てくる。これが一見思いつきの与太話のようでいて面白い。90年代初頭の反復論は90年代を30年代と重ねていたが、現在は、むしろ19世紀末と重ねている。30年代とパラレルと見る診断が良くも悪くも見通しがいいのに対して、19世紀末と見る診断は見通しが悪い。しかし、少なくとも自由を主張しながら集権主義へと帰結する権力のあり方を見通している点ではシャープである。
 19世紀は第一次大戦とともに終わったが、90年代から続くポスト冷戦社会はどのようにして終わるののだろうか?テロリズムからヨーロッパ全体を巻き込む世界戦争へと発展した19世紀は(暦の上では)もはや2世紀前だ。第二の19世紀末としての金融資本主義も、日常的とも思えた小さな事件が大きな混乱へと発展して終焉を迎えるのだろうか?いや、混乱の芽となる小さな事件を日常的と感じる我々の感覚は既に麻痺している。感覚を麻痺させた我々に、世界の終わりのきっかけとなる事件は見出せない。
 前時代に資本主義の混乱を終わらせたのは、テロや戦争だったが、新しい時代におけるクローザーは社会運動であってほしい。恐らくそのためには私自身も何かちょっとしたことをしなければならない。