横道世之介

 1日に友人と見に行ってきたが、いい映画だったので、何か援護射撃がしたい。
 映画を見てから世之介のことばかり考えている。
 煽情的で野蛮な作品しか受けない時代に、反時代的ともいえる丁寧な映画作りをしていて感銘を受けた。

 面白いのは、観客が判で押したように「どこにでもいる青年」と世之介を評していることだ。私は彼(と祥子ちゃん)は天使であって、こんな青年はいないと思う。それなのに、観客の多くが彼を普通の青年と評するのはいかなることなのか?これは不思議な現象である。
 世之介について主演の高良健吾フォレスト・ガンプみたいだといっているがまったくその通りで、彼は卓越していないように見えて万人に自由を与える天使である。あるいは、パゾリーニ映画の常連、ニネット・ダヴォリを思い出してもいい。天使ならば、福音をもたらすメッセンジャーなのだから、卓越性は必要ない。彼は関わる相手のスタイルを変えずに、少しだけ荷物を軽くする。その理想の補助者としての存在が、彼を天使たらしめる。