情報の遮断

PCを開く度に、どうでもいいニュースを遮断することに追われる。とにかく、ヤフーでもはてなでも、ネットのニュースはろくなものがない。商業が全面化し、情報の全てが資本主義化した世界の鬱陶しさに直面している。この世界を全てだと感じる人間には、オルタナティブな世界は想像できないんだろうな。明らかに情報の操作がなされているが、それに言及する批判的言説も森に埋もれて聞こえない。いずれにせよ、世界がこれだけ一方的になると、必ずオルタナティブは起こる。勿論、資本の拡大は世界レベルで進行するので、資本が敗北することはない。しかし、それでも必ずオルタナティブが起こる。

単純なことほど実現困難である。この国には法内容の平等が欠けている。不平等な法律が平等に適用されれば、差別が拡大するに決まっている。しかし、そんなことはおかまいなしだ。

民主主義なんだから、立法作用を通じて矛盾や差別を変えられるはずだ、とか、その立法に携わるのは弁護士だとか、考えないことだ。これは民主主義という名の独裁であって、彼らはとことん世の中を変えたくないし、民主政治をポピュリズムに変えて操作したいのだ。民主主義を民主主義たらしめるためには、自由意思がいる。そして、自由であるためには個人でなければならない。さらに、個人であるためには共同体からの嫉妬に耐え、妨害をやり過ごさなければならない。