ホンネの共同体を越えて

 という浅田氏と柄谷氏の対談があったが、東氏の最近の主張を読んでいるとこれを思いだす。東氏はタテマエを言わなければならないところで、タテマエの偽善性を批判する。しかし、繰り返しになるが政治が偽善のゲームであり、人間の性的な実態から乖離しているのは当然のことだ。チチョリーナからベルルスコーニまで、性欲の抑圧に隠された大衆のホンネとやらを公の場で主張すれば滑稽か醜悪になるほかない。そんなことも見えていないのならば、やはり批評=決定的言説ではないのだろう。