雑記

 ときどきニュースで流れる安倍政権の極右政策に辟易する。支持=共感がなくとも「自分を信じて」突き進むのは、彼らが誤解された全共闘だからなのか。
 政治手続きがコンサバティブではない。

 右寄りの政権や政党であっても政策は新自由主義的であったり、その限りで福祉政策も行ったりする。リベラル政党との違いは味付けが濃いか薄いかだけで、皿とメニューは殆ど変わらない。だから、新自由主義政党を批判するのは難しいといわれる(明確な反対はないという形で支持が続く)。多様性と成り上がりを分ける境界はセンスでしかない。軽薄で脆弱な自意識の違いだけが弱者と共に歩むか否かを分けるクリティカルポイントになる。


 ところで、橋下徹新自由主義者のエントリーは端的に見てはならないものというべきだ。謙抑的な判断ではダメだ。これは否定すべきものである。彼ら自身だけでなくフォロワー、シンパサイザーの言説までが作られ、散布されている。明らかに人為的に低質な言説をばらまいている。これは水に毒を混入する類の悪質な作戦である。世の中にはボックスしてはならないものがある。日本の政治とメディアの空間に暗闇が混入されたのだ。繰り返しになるが、新自由主義は自由と関係がない。彼らの発する音は自由と関係がないので耳を貸してはならない。