フクシマ原発についての情報開示

 福島の原発事故について一番問題なのは事故後の経過情報が部分的にしか公開されないことだ。そもそも極端に行政寄りで、まともな改正がされてこなかった一群の行政法のせいで行政がまともな情報開示をしなくてもよいことそのものに問題がある(と同時に改正はおろかそもそも行政法に関心をもたなかった我々に問題がある)が、現在は、水素爆発と核爆発で吹き飛んだ原子炉についての情報の隠蔽と同時に情報隠しが発生させた人体への致命的な影響を問わなければならない段階に至っているのではないか。

 事故直後、民主党政権下で喧騒と混乱の中「直ちに人体への影響はない」というアナウンスがなされた。第一声が事実のアナウンスではなく口頭弁論での事実陳述のように責任回避の発言だったことに呆れた記憶があるが、その後自民党への政権交代で成立した安倍政権は資産バブルを政権の基礎として白玉を弾くように右派政策とリカバリーのアメの政策を混合で打ち出すだけで、福島原発とその周辺の状態に対する定期的なアナウンスは行わなかった。つまり、原発の問題をアイソレーションした。
 ブルジョワ的な株主総会の原理に照らしても4半期ごとに福島第一原発の現在の状況がアナウンスされてしかるべきだが、そんなことすらできない。日本の株主総会が情報開示にほど遠いことは百も承知しているが、政治権力は国民の代表なのだから国民の身体の安全を守るために善良な従者として情報開示する義務があると迫ることができるはずだ。それがないのは我々の市民意識が低いからなのだろう。(アメリカ的な市民社会の導入には共和政体の導入が不可欠なのではないか。)
 行政の秘密主義体質(カメラリズム)を是正しなかったツケが3年という時間を経て東京圏で生活する人間の身体にまで影響を及ぼしているように思えるのは気のせいか?私の周囲で人がケガをしやすくなりすぎているのと、生気が下降しているように感じられるのが気になる。「人体への影響はない」といわれた期間は現実的に過ぎ去ったのだ。

 少し前に『美味しんぽ』で主人公が鼻血を出す描写が問題となったが、排出された放射性物質の量はヒロシマ型原爆より多いというのだから、その程度の影響はあってあたりまえだ。鼻血の描写すらヒステリックに抑え込むのは現実に出ている症状がより深刻であるからだと思える。何よりも、福島周辺、あるいはその外部での国民の身体への放射性物質の影響について積極的に向き合うのではなく、隠そうとしている。その影響は、結局私自身と家族、友人に及んでいる。

ついでに書けば、『はだしのゲン』が図書館でバッシングに会う反面、『風の谷のナウシカ』は話題にもならないのは奇妙なことだ。今福島で起こっている事態が『ナウシカ』冒頭の描写であることは明らかである。

もう一つついでに述べると、福島を観光地にして人々の原発事故への意識を喚起しようという話は、それなりにマイナーなイベント性があるのかもしれないが、そんなことをするくらいならば震災瓦礫を遊園地の敷地に埋めたほうがブラック・ユーモアとしてインパクトがあるのではないか。勿論彼はそんなことはできないし、そもそも問題のレベルが違うと反論するだろう。しかし、観光させるということは惨状を見せ物にしてショックを体験させることだろう。ならばいま人の集まる場所に危険を持ち込んだほうが手易い。この程度の比較に耐えないならば思いつきの企画にすぎないということだ。震災瓦礫の対応にせよ、中年の「文化人」や「政治家」からは吟味によって鍛えられた知性が感じられない。ドゥルーズカフカ論だったと思うが、メジャー言語の中で「どもる」ことこそが概念創造の源泉ではなかったか。


 最初から原発事故の影響が甚大なのはわかっていた。過剰反応すべきではないというが、現実は情報を隠しすぎている。情報開示により信頼を得るよりもマーケットの評価をとった結果だが、矮小な判断というほかない。マーケットに対する見栄えをとったがゆえに、今後、当のマーケットから嘲笑とアカンベエを受けるだろう。アベノミクスのドーピングが切れたときに、我々は「現実」に直面する。我々は選挙とデモでこの国を変えられるだろうか。代替的ビジョンの提出ができるだろうか?