雑記

http://www.2chopo.com/article/837/

https://twitter.com/makimuuuuuu

 LGBTコミュニティによる脱コミュニティ者批判を諫める理性的な記事。「抜けた」仲間を叩くというのはどこにでもあることで、しかもマイナーコミュニティほどその温度が上がる。本質的には社会(マジョリティ)のマイノリティへの無自覚なプレッシャーを批判するのが筋だが、ハイ・インテンシティを余儀なくされるマイナーコミュニティではそのような理性が働くのは難しく、「泥試合」によってストレスを散らすことが多い。

 牧村さんのレポートは上記の困難が図式としてうまくまとまっていて感心する。彼女はミス日本のかなりのところまで残ったという麗人だが、容姿端麗なだけでなく論理的な文章が書ける(ちなみに、レズビアンという一義的な定義を回避して、ご本人は明確なアイデンティティを持たないふわふわとしながらもしなやかな生き方を指向しているように見える)。私はヒマ潰しに見るだけだが、にちょぽの執筆者の水準の高さにはいつも感心させられる。(この記事に関しては彼女の「強い主体性を回避する」というポリシーが記述の明晰さを担保しているように思える)

 それ以上に関心を惹かれ、羨望を覚えたのが、ツイッターによる8月19日の囀り。移民向けに歴史、法律、社会制度の解説をしてくれる無料講座があるというが、日本の法科大学院、法学部にはそれが一切ない。普遍性が外部への扉であるという認識がないからだ。自民族中心主義的ヘーゲル主義と責任回避の非政治的社会。志賀直哉公用語をフランス語にしろといっていたが、日本の政治・法律を近代化するには本当に公用語と公文書をフランス語なり英語なりにするしかないのではないか?ダメなものをいくら改善してもダメなままである。この国にはパララックス・ヴューがない。資本主義と共産党の矛盾、多民族国家という条件から中国の分裂を(経済発展への嫉妬も混じって)予見する声があるが、別に国家の分裂は外国だけの話ではない。

 ユーコク呆談が更新される。いい意味で脱力したバカ話になっており、ブラックジョークとして引きつりながら読む。大阪の橋下市長の肯定的な側面として大阪の美術館統合問題から話を始めているが、どうもそれも官僚の圧力でたち消えになりそうだということ。私は橋下市長を煽動的大衆政治家だと考えており、シングルイシューであれ不用意に支持を表明するのはどうかと思うが、浅田氏が言及する以上は批評的な検討は済んでいるのだろう(と思いたい(※1))。

 http://www.nippon-dream.com/?cat=29
 http://realkyoto.jp/blog/

 現在、極右政党で石原元都知事の下にいる元横浜市長中田宏氏はかつては横浜市でゴミの分別収集を実行しており、その結果我等が横浜市の住宅はゴミを分別収集する清潔感のある環境になっている。勿論、分別したゴミを資源として有効利用していないという大問題があるし、単にスノッブなだけでは?というやっかみもあるが、政策実行は良いことだったといえる。中田氏と橋下氏は同一政党で意気投合したことで見られる通り、大衆政治家である点で共通する。勿論、野心がありつつも地方自治に集中していた中田氏に比べて橋下氏は大阪に関係のない問題に首を突っ込みすぎており、また、中田氏はエゴの強さでしばしば眉を顰めさせる部分はあっても記者を恫喝するような暴力的な言動はしなかったと記憶する(というよりも、橋下氏ほど公の場で露骨に暴力を用いる政治家は他に見たことがない)。近代的な右派政治家といっても両者はパーソナリティが異なるので、安易に比較できないと思うが、市長の意図に関わらず、結果的に大阪市民のためになる政策があるのならばやっておいて損はないと横浜の経験からは思う。
 それにしても、集団的自衛権閣議決定は国家に対する罪になっておかしくない判断だ。殆ど紛争地域の政府のやることであり、自民党内の「党内野党」が健全に働いていれば内閣不信任決議案が出て然るべきところだ。人材がいても保守としての柔軟性=老獪さ=安定性を発揮できず、不安定な政策の暴走を許すのは、自民党も歴史的使命を終えたということなのだろうか?小泉元首相が切れ込みを入れた自民党を切り倒すのは安倍首相なのかもしれない。保守政治の側も55年体制を支えた勢力が消えた感がある。天下餅を座りしままに食うのは誰なのか?
 移民問題も、中産階級の暴走が起こっている。これは過去の問題ではなく自分たちの無知が招く困難だ。私は帰国者としてむしろ移民の権利や在日外国人の権利を明示的に認めさせたい立場だが、自分たちのやりたくないキツイ労働に安価な労働力を当て込んで、政治的権利は与えないというのは団塊ジュニアが大学のカフェテリアや合コンで話していた差別的な移民政策そのものだ。まさか何のひねりもなくこれほど露骨な法案が出てくるとは。この法案は「移民のための法案」ではなく「移民を作って抑圧する法案」である。
 少し前に批判したゲンロン憲法草案のようになっている。

http://genron.blogos.com/d/%a5%b2%a5%f3%a5%ed%a5%f3%b7%fb%cb%a1%b0%d1%b0%f7%b2%f1%a4%cb%a4%c4%a4%a4%a4%c6

 国民と住民を分けることが民族主義の強化にしかならないことは明らかだ。学生コンパの「ノリ」で法案を作るのが日本の「民主主義」であり「転向全共闘」なのだろうか?政治は子供が「悪ノリ」をする場所になってしまったようだ。

(※1 これは資本の文明化作用だろうか?だとしたらやっかいだ。困った連中が出てきたものだ。同時にマルクスの抽象化能力の高さに舌を巻く。彼の作った概念はいまだに「現役」である。維新の会が結いの党と合併したが、彼らは野心がありながら党名にビジョンを示せない点に政党の性格が現れている。彼らが求めているのは単なる資本主義的成功であり、要するに「投資家団体」なのだ。戦前の天皇ファシズムの後にできたのが経済成長を宗教とする戦後社会だといわれるが、経済成長とは要するに開発独裁である。それが投機独裁に変わる。それを仕切るのがディーラーとしての新自由主義とスポンサーとしての新保守主義ということか。...こんなに単純な分析でいいのか?しかし、単純な構造ほど強い。スキャンダルで叩かれてもプラナリアのように再生し、しぶとく再投資先を見つけて勢力を拡大する。維新の会を弱らせる方法は結局「相手にしない」こと以外にない。彼らは自らが「売れなくなる」ことを最も恐れている。橋下氏も普通の意味での政治家ではなく投資団体の政治部門の看板というだけなのだろう。彼の背後にはシンクタンクと資本があり、だから彼は自信満々であり、リーガルマインドを逸脱して母体組織の「利潤最大化」の教義に忠実に振る舞う。理念の実現は考えたことがない。自民党も、彼らが「大阪でバブルを起こしたがっているだけ」と認識しているからこそやりたいほうだいの行いを許容している。安倍首相にしろ橋下市長にしろ、政策の最終目標は「バブル経済の待望」なのだ。傍若無人な振る舞いも、「自分の成功が周囲にも波及する」という「トリクルダウン理論」を信じているからなのだろう。...アホか。これは彼らが師と仰ぐ小泉純一郎の政策が結局将来のバブル経済的成功を担保に入れたものだったというようなものである。これは推量ではない。「小泉改革」はバブル崩壊期の「バブル待望論」なのだ。バブル経済は無根拠だからこそ期待だけで起こる。しかし、グリーンスパンが世界中でバブルを起こしまくって枯渇しきったこの世界の中で今更大阪でバブル経済など起こせるだろうか?(これは東京オリンピックも同様である)ケチなアングロ・サクソンユダヤ系の金融機関が大阪に成長の余地ありと見なすとは思えない。砂漠のドバイならば資本主義のゴミをいくら作っても反発はないのだろうか?反発は必ずあると思うが。しかし、同じことを大阪でやればメチャクチャなことになる。大阪が求めてるのは歴史と伝統の再生としての経済的繁栄だろう。断言するが、世界資本主義はそんなものは一顧だにしない。「儲かるならばポテトチップを作ろうがコンピューターチップを作ろうが同じことだ」と嘯き、「信じる者は儲かる」と愚にもつかないダジャレで思考停止するのが投資家である。利潤最大化という教義は街を破壊する。つまり、維新の会のプランにのっとる限り、政策の「成功」が街を荒廃させる可能性が高い。ちょうど現在の日本各地で起こっているように。)